ガミガミ主義(全米ガミガミ屋協会公認)

食べるために生きるのであって、生きるために食べるようにはなりたくない

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Bitter Sweet Samba

お花をたくさん見たせいか、私は非常につらい時期を過ぎて、平和な時期に入った気がしている。気がしているってゆーより、そうであって欲しい。
時期が来たら花が咲くように、いつまでも冬ではいられない。
でも思ったんですけど、bitterなことがあるから、sweetなことがホントにsweetに感じられるのかも知れない。bitterなことはsweetなことを感じさせるためにあるのかもしれない。
だとするとbitterなことは無駄ではなくて、必要なことだったのかも知れないなあ、なんて。トンネルのあとの青空が気持ちいいのと同じかしら。
だったらbitterなことにも感謝しないとね。少なくとも、sweetなことの喜びをわからせてくれたので。
と言いますか、陰があるから陽があるわけで。
太陽もあれば月もある。
雨もあれば晴れもある。
うまいものもあればまずいものもある。
でも自分の味覚大切。私がうまいと思うものが、うまいもの。どう頑張っても、まずいものはまずい。人のジャッジはどうでも。
死んだおじいちゃんは「世の中には、うまいものとまずいものしかない」と言っていた。
「うまくないってことは、まずいってことだ」と。
そういえば私は「まずいものでも無理して食べろ」と教育されたことは一度もなかった。
それどころか、「まずいものは身体に毒だ」とまで言われていたんだった。
・・・なんか、身に染みてくる。
でもね、まずいものがあるから、うまいものがうまいと感じるのかも知れないよね。
あ~あ、おじいちゃんに会いたいな。

・・・って、そんなことが言いたかったのかしら?よくわからなくなってきた。
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  1. 2006/04/11(火) 00:21:11|
  2. 考える人
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珍しく反省(少しだけ)

そーいえば今日、上司にそれとなく小声(そーゆー気遣い、この人好きだ)で
「イライラすんなって!」
と言われてしまった。
自分でイライラしてることを自覚していたが、やっぱ露骨に出ていたわけね。これショック。
このイライラって、「瞬間的なイライラ」じゃなく「継続的なイライラ」なんだよね。
よくないと思う。まったくもってよくない。
イライラしてる女って、それだけでみっともない。理由がどうあれ。どうにも魅力的じゃないですよ。知ってますわかってます。
そーゆーふーになっちゃいけないのだ、私として。
魅力的じゃない女ってゆーのは、生きてる価値ないじゃないですか。
そもそも仕事なんかでイライラしてるってことじたいが、アホくさいこと。今まで仕事の件でイライラを隠さない人見ると、男女問わず「アホか!」って思ってたのに、自分がそっち側に行っちゃってることは耐え難く。「余裕のない自分」の姿が思いっきり醜く見える。
余裕がなくて、アホな冗談言えなくなるし、人に対して露骨に不快感出るし、眉間にシワが寄るし、人への指示はぶっきらぼう(「やってもらってもいい?」じゃなくて「だからやってよ!」「やってって言ったじゃん!」)になるし・・・って、要するに私のキャパが小さいってことでしょ。最悪なことだ。
いろんな大切なこと(家で夕飯食べるとか、部屋をきれいにするとか)ができなくなっていることも思いっきりイヤ。それらすべてを「忙しいから」っていうことにしてしまうのもよくないことだ(今、見回しても部屋が異常に汚くて怒りさえ覚える)。それってつまり、単に私がだらしないってことでしょ。これも最悪。
とにかく原因はどうあれ、目に見える状態はいつもよく保っておかなければいけない。そこから得る満足だってあるわけだから。とにかく人生は自己満足なんだしね。

とにかく、来週からは人に対してイライラしないようにしよう。私がイライラしたところで、彼らの意識やスキルが上がるわけもなく。そんで、彼らの意識とスキルが上がってくれない限り、私はのほほんとした仕事生活に戻れないわけだ。政治的解決だって、リソースそのものが不足している以上、まったく意味をなさない。じゃーどーすればいいのか、ってのが課題だけど。
それから、とにかく家はきれいにする。美しくない状態は不愉快。

まあしかし、去年まではあまりにイライラしたり、怒りを感じたりしない自分を「変だ」と考えていたことを思い出した。
その時は「怒らないってことは、そもそも希望を持っていないからだ」と結論づけたんだった。どうにかしようなんて考えるのも無駄だとわかっていたので、何でもどうでもよかった。
今年は戦線復帰しているので、イライラしているわけだ。
そういう意味では、充実してないわけではないってことね。
でも、40も近いわけだし、新たな扉を開けなくてはいけないわけだし、ゴールを高く設定しないと。実際、私が出会う「すごい人」ってのは、忙しいくせにイライラしたりなんかしてないんだから。だから魅力的なんだしね。そーゆーふうにならないと、いい加減まずいんじゃないですか。
  1. 2006/03/25(土) 03:31:32|
  2. 考える人
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忙中有閑、壷中有天

忙中閑あり(ぼうちゅうかんあり)
[=自ずから閑あり] 

忙しい中にも僅(わず)かな暇(ひま)はあるものだということ。また、忙しい中でこそ、心に余裕を持つべきであるということ。 
反:■閑中忙あり 
★安岡正篤氏の「六中観」の1つ。 
参考:六中観(りくちゅうかん)「忙中有閑」(忙しい中に心の余裕を見付ける)、
「苦中有楽」(苦しみ抜く最中に楽しみを見付ける)、
「死中有活」(死を背にしたその中に活路を見出す)、
「壷中有天」(現実世界にあって、別天地見付ける)、
「意中有人」(尊敬でき心の師がある)、
「腹中有書」(腹中に哲学、信念がある)-『百朝集』58話。
  1. 2006/03/15(水) 16:12:59|
  2. 考える人
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「ちょいズレ」対策

ウツだなあと実感するのは、人との接し方。好き嫌いが露骨に出てしまう。
愛想笑いのようなものが、まったくできなくなってるのだ。
会社に「ちょいズレ」人物がいて(というか、かなりズレているのだけど)、調子いいときなら、なんとかフォローできる、というか、しなきゃ、という意識が働くのだけど、今はそういう余裕がないので露骨にブスッとしてしまう。うまく反応ができないのだ。
会話のやりとりで、「なんだこいつ?」と思うのが如実に顔に出てしまう。
自分では、そういう現象を重々承知していて、これはいかん!と思うのだが、実際問題いかんせん自分を軌道に乗せられない。わかっていてできないからやばいんだよね。よくないなあ、って思う。
とはいえ、よく考えりゃあ、そういう人物ってのは、しょせんズレているわけだから、こっちの心理なんかはお構いナシなわけだしね。
空気読めない人とか、話のコンテクスト読めない人ってのは、だいたいそんなことは気にしないだろう。そもそも人の話を聞いてないんだし。だから、ズレてるわけだし。
さらに、ズレてる人ってのは、そもそも他人ときっちり信頼関係を築こうとは思っていない場合が多いわけだし。
ズレてる人をズレないようにしよう、と思うことじたい無理がある。ホントは関わらない方がいいのだ。逆に。
別に「いい人」と思われたところで、私に利益なし。というわけで、ウツにより人の選別が容易になった(・・・のか?)。
それでもうひとつ気付いたのは、その手の人はみんな、同じ骨格上の特徴がある、ということ。

・・・そんなこともあって、タクちゃんが絶賛している『人は見た目が9割』を買ってみた。
  1. 2006/03/15(水) 00:36:52|
  2. 考える人
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悲しいのかも知れない

ここのところクサクサしたりイライラしたりしていた一連の症状がウツということなんだろう。ピリピリしたあと、今は悲しくなっている。でも悲観的というわけじゃない。
だいたい自分にこういう反応が出ていることに若干驚いているけど、私だっていつもバカみたいに脳天気というわけじゃなし、こういうときもあるんだね。
今日は帰りにバスに乗っていたら泣きたくなった。家に帰ってお風呂に入っていたら涙が出てきた。いっそ本格的に号泣すればスカッとするんだろうけど、そういう風でもない。
だいたい、何が悲しいのか的確にわからない。
言ってみれば、単純ではないいろんなことが悲しいんだと思う。
だけど、
私が単純なことを複雑にしているのか?
簡単なことを難しくしているのか?
でも単純で簡単なほうがいいのか?というと、そうじゃない気がしている。簡単な解決法では「回避」はできても「解決」はできない。
だいたい、単純で簡単だったら、ハナから悩んだりするわけがない。
そもそも生きていくということ自体単純にはいかないし、プルーストやゲーテだって、みんな悩んだわけよね。
だから、こういう状態そのものが生きているってことを表しているんだな。
大人になると感性が鈍って、いろんなことに慣れてしまったり見て見ぬ振りをする術が習いになってしまったりするんだろうけど、みうらじゅん曰く、「不安でいることが人生なんだ」そうだから、私は健康なんだと思う。ことにする。
実際、私はほんとうに新しい扉を開けようとしているのかも知れないし。
それと、こんなモヤモヤした気持ちは女にだけ存在するのかと、特に理由なく思っていたけど、abuyasu氏もどこかに、何かの件でモヤモヤしていると書いてあって、そのことについて彼と話したわけじゃないが、男もこんな状況があるんだと知ってなんとなく安心する。

それで、こんなことを書いてどうするんだと思うけど、これも人生の記録だから記しておく。実際、書くとスッキリしてくる。
  1. 2006/03/14(火) 00:03:08|
  2. 考える人
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何もかもがわからない

哲学強化月間だから、考えている。
そして、考えれば考えるほど、わからない。
そもそも、何について考えているのかさえ、わからなくなってくる。

旅に出たい。
好きなだけ寝て、好きなだけ考えたい。
こういうときはパリに行きたい。
少々どんよりした空の下で、道行く人々を眺めながら、徹底的に考えたい。考えるという行為が何をもたらすのか、というところから考え直したい。
そしてそのことを誰かと話したい。できれば知らない人とがいい。そういうのはパリだ。
パリじゃなくてもいいが、少なくとも、オトナの国で考えたい。
子供が嫌いだ。幼稚性も許せない。子供が子供らしくいるのはいいが、大人が子供っぽいのはイヤなのだ。
だいたいどうして子供が嫌いなのか?
そういう私は子供じゃないのか?
そもそも、大人ってなんなんだ?
  1. 2006/03/13(月) 01:21:00|
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「哲学」強化月間

企画書に追われるわ、気分はクサクサするわで、くすぶっている私。
そんな時は、ビシッと肉を食べて自分の野生性を取り戻さないといけない!という意味不明な直感により、紀尾井町オーバカナルで食事して帰ってきた。
やっぱしくつろぎます、この店。
他愛ない話だけど、いつまでもしゃべっちゃう感じ、本当のリラックス。持つべきは心許せる友ですね。プライスレスなひととき。
そんな友から見ても、今の私は『ソフィーの世界』的な「深い思考の渦」の中にいるようで、それならいっそ、今月は徹底的に考えたおしてやろうかな、と思いつき。3月4月は「哲学強化月間」にしようと決めた。ブログにも「考える人」カテゴリを追加。
もう、こうなったら徹底的に考えてやる。今まで肯定していたもの、容認していたもの、前提条件から考え直す。今の私には新たなパラダイムシフトが必要なのかも知れないし。
考えたおして新たな領域を見いだすもよし、やっぱこれ以上変わる必要はないと着地するもよし。
そうと決めたらワインもうまいし、食後酒もうまいよ。
ところで赤坂~紀尾井町の「インターナショナルさ」は、弁慶橋がひとつの結界になっていて、紀尾井町は「コーケイジャン」、赤坂は「アジア」と棲み分けされてんな~、と改めて気付いた。
  1. 2006/03/08(水) 01:42:44|
  2. 考える人
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