ガミガミ主義(全米ガミガミ屋協会公認)

食べるために生きるのであって、生きるために食べるようにはなりたくない

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ものを捨てるということ

基本的に引っ越しというのは、いるもの・いらないものを整理して、スッキリするからいいものだ。日本に戻ってきた当初は、けっこうすっきりと暮らしていたのに、知らず知らずのうちにモノが増えているのね。無用なモノをため込んでいる生活というのはよろしくない。
とは言え、段ボール詰め作業なかなかはかどらない。
物理的に、もう役に立たないモノは機械的に捨てられるけど、ある種のモノはいろんなフラッシュバックを呼ぶものだ。
例えば、2002年にローマで見た「レンブラント展」のリブレットが出てきて、美術館のロビー、スタッフのジャケットの鮮烈な色、一緒にいた友だち、テラスから見た空の色、それからローマで関わっていたいろんな人々の顔なんかが次々に思い出されてしばしボーっとしてしまう。
それで思ったんだけど、人間にとって思い出ってかなり重要なウエイトを占めているってこと(当然か?)。
ただし時には、思い出というモノがすごく厄介で、現在より良かった時の記憶に縛られてしまうこともあり。今より、あの時のほうがよかったな、と思えば今がつらくなってしまう。ただし、遠い過去なら、今と比較してもどうということはない。
日本に帰ってきてこのマンションに住みはじめた頃は、日本の生活がつらくてイヤでしょうがなく、帰りたくて泣いたりしてた。けど、今は別に屁でもない。
そこでまた思ったんだけど、どうして日本語には「遠過去」の時制がないんだろう?
北ではあまり使わないから、遠過去だけは活用ほとんど覚えてないけど、イタリア語をしゃべって12年目にして、初めて遠過去の存在意義を実感した!
あったほうがいい!「現在の自分とは関係のない過去」のような概念。なにかと思考がシンプルになると思われる。
やっぱし、モノと思考の整理整頓が大切だ。
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  1. 2006/08/13(日) 00:33:29|
  2. 独り言ガミガミ
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